歴史博物館と戦争 その1 アメリカのW.W.Ⅱ、日本の第二次世界大戦

世界一周だからこそできること。

私は「歴史博物館の見比べ」を挙げる。

今回の旅では、多くの国で歴史博物館を訪れた。
そうすると、同じ戦争でも、国によって見方や切り取り方が全く違うということに気づく。

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歴史博物館で何をどのように展示するか。
そこには、自国の歴史を自国民にどう認識させるかということや、対外的に何をアピールしたいのかという思惑が多分にこめられていると思う。

たとえば、第二次世界大戦。

日本人の私にとっては、ヒロシマ・ナガサキ、東京大空襲、そしてオキナワである。
しかしアジア諸国から見た同戦争も、アメリカから見た同戦争も、それとは異なるものが中心に据えられている。

中国、北京の中国人民抗日戦争紀念館では、1937年、盧溝橋事件に端を発して始まった日中戦争から太平洋戦争につづく対日戦争が、ジオラマやパネルを使って説明されている。

日本軍が行なった蛮行の数々。
微に入り細を穿って説明されており、目をそらしたくなるほどだった。

そこに書かれていた数字や情報がどれほど正しいのか私には判断できないが、「中国人が日本をどう見ているか」というのはよくわかった。

アメリカ、ワシントンのアメリカ歴史博物館では、軍・戦争に関するコーナーがあり、そこにはもちろん第二次世界大戦の展示がある。

アメリカにとってのそれは、リメンバー・パールハーバーであり、正義の達成である。
原爆の影響などはほとんど展示されていない。
ベトナム戦争についても、「南アジアの共産化を食い止めるため」の戦争とされており、ベトナムの博物館で見た同戦争とは全く別物に思えるほどだった。

私自身もそうなのだが、人は他人から傷付けられた出来事ははっきりと覚えていても、自分が放った言葉は比較的すぐに忘れることができる。

それは国家も同じようなものなんだろう。
日本は、日本人は、日本の他国に対する行いよりも、受けた被害のほうを記憶する。

他の国々も同様だろう。
そうである限り、戦争は続く……。

**********

私はどこかでこんな展示をやってみてほしい。

「戦争展示比較展」

同じ戦争を、異なる国ではどのように展示したり教育したりしているのか、というものだ。
各国の歴史博物館のパネル・写真や歴史教科書を、戦争ごとに切り分けて展示する。

リメンバー・パールハーバーとヒロシマ・ナガサキを並べれば、アメリカと日本が何を問題にしているのか、溝や食い違いがわかる。
一方日本が侵略したアジアの国々はどう考えているのか。
アジアの博物館には、フランスや日本の支配について展示されているので、それも並べてみてほしい。

東西冷戦はどうか。
大国にはさまれたキューバはどう見ているか。

博物館を作って被害を訴えることすら難しい国々もあるので、その資料は独自に集める必要があるだろう。

おそらくどの国の歴史博物館の展示も、一面は真実であり、もう一面は国家の忖度だ。
一国だけでは真実などわからないし、ならば関係国全部から、複数の視点から一つの事象を見るしかないのではないか。

アメリカ人がアメリカの博物館だけを訪れ、日本人が日本の教科書だけを読んでいるのでは、歴史の反省などできないに違いない。

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世界一周をして、本を読んで、博物館をめぐって、私は以前より格段に、世界や戦争について関心を持った。
しかし、それは世界を知ったわけではないということもわかっている。

何かを見たり聞いたりするとき、必ずフィルターがかかる。
本の著者の主張、国家の歴史観。
そして私が日本人でありアジア人だということも、大きなフィルターだ。

まじりけのない純粋な「真実」とは何だろう。
国の数、人の数ほど真実があって、それはあまりに膨大すぎて、結局存在しないような気さえしてくる。

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(ワシントン、ナショナルギャラリー東館に展示されている河原温の作品。

ベトナムで見たベトナム戦争関連の展示は、自分でも気づかないうちに、私の心に深く食い込んでいた。同じアジアとしての共感もあるのだろう。原爆同様、何代にも及ぶ被害という点も、どうしようもなく哀しく腹立たしい。

ベトナム中部の都市フエの本屋で、ベトナム人作家バオ・ニンが自身の戦争体験をもとに著した本の英語版を買い、ホーチミン滞在時に読んだ。

印象的だったフレーズを引く。

《Justice may have won, but cruelty, death and inhuman violence had also won.
Just look and think: it is the truth.
Losses can be made good, damage can be repaired and wounds will heal in time. But the psychological scars of the war will remain forever. 》
(Bao Ninh "THE SORROW OF WAR" , VINTAGE CLASSICS))

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# by red-travel | 2017-04-24 14:40 | アメリカ合衆国 | Trackback

アメリカぎらい

「コーヒー・オブ・ザ・デイ」

「Sorry?」

「コーヒー・オブ・ザ・デイ」

「Sorry?」

「こっふぃー、おぶ、ざ、でいっ!」

ワシントンのカフェで2回聞き返された。
「本日のコーヒー」を買うのに苦労する。
おお、私の発音はそんなに悪いのか。

これまで他の国では、スペイン語をアルファベット読みで適当に発音しても、メニューを指差しながら「カフェ」と言っただけでも通じた。

しかしアメリカに入国してから、一事が万事この調子。

私もアメリカ人の話す英語が聞き取れない。
同じ英語圏でも、カミーノで会ったカナダ人やオーストラリア人の英語は何となく理解できたことを考えると、

アメリカ人は英語ヘタクソなんじゃないのか。

ま、それは冗談として、アメリカに2週間ほど滞在して気付いたのは、アメリカでは英語が絶対的であり、他のコミュニケーション手段は排除されているということだった。

**********

私はゆっくりはっきり話してもらえれば、多少は英語を理解できる。
しかしアメリカ人の英語は容赦ない。

「○▲◇★■△※#∞……OK?」

全然オッケーじゃない。

たまたま、もしくは都市部だけかもしれないが、これまで駅やインフォメーションで私が道を尋ねたアメリカ人たちの英語は、早口である上に抑揚が少なかった。

それはつまり、情報の伝達手段が「英語」という言語だけだということだ。
たとえ外国人相手でも、ゆっくりと話したり、ボディーランゲージを加える、紙に書くという方法がとられない。
メキシコ人が身ぶり手ぶりを加えて何とか伝えようとするスペイン語のほうが、まだ理解できた。

思えば人種のサラダボウル・アメリカにはアジア系も多数住んでおり、「人種が違う=英語が話せない」という法則が当てはまらない。
だから外国人にも当然のように英語を期待するのだろう。

他の国のように、こちらが繰り出す下手な英語や現地語から、意図を読み取ろうとはしてくれない。

**********

ワシントンで宿泊していたゲストハウスには、カリフォルニアから来たというアメリカ人の中年男性がおり、いつも誰かしらに大声で話しかけていた。

ある日、彼はキッチンで私に

「日本の人口は何人なんだ!」

と尋ねてきた。

私が「ちょっと待って」と言いながら、1億は何ミリオンだったっけ、と計算していると、

「20ミリオンか? 30ミリオンか?」

と、たたみかけるように急かしてくる。
苛立ちながら100ミリオン以上だと答えると、こう返してきた。

「日本は小さい島だろ!そんなに人がいるのか?」

おそらくこの男性は、日本人が普段ミリオンやビリオンを基準単位としていないということを知らないし、考えたこともないのだろう。
それに悪意がないのはわかっているが、居丈高な「小国」呼ばわりに、カチン、ときた。

たまたまそいつが嫌な奴だっただけなのだ。
事実、困っていた私にとても親切にしてくれたアメリカ人もいる。

しかしそのとき私の中で、アメリカに対し、

外国人がアメリカの言語や習慣に合わせて話すのを当然のこととみなす異様な国

という偏見と反感が生まれた。

**********

ワシントンで、私は自分でも思いがけない行動をした。

ある日、特に食べたくはなかったけれど、スーパーで豆腐を買った。
宿のキッチンで水をきり、そのまま皿にあけ、スプーンで中央を丸くえぐり、そこに醤油を注いだ。

豆腐で日の丸。
即席の愛国的反米メニュー。

なんでもいいからアメリカに抵抗したくなった。
「オーガニック」と強調されたその豆腐は、日本のそれとほとんど変わらぬ味ではあったけれど、ちっともおいしく感じなかった……。

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(ワシントン記念塔)

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# by red-travel | 2017-04-14 10:11 | アメリカ合衆国 | Trackback

帰国前夜の言い訳

突然ですが明日帰国します

と言うと、まるで月9のようであるが、冗談ではない。
明日本当に日本行きの飛行機に乗る。

アメリカではずっと苦戦しており、落ち着いて考えをまとめる時間が少なかったのと、今読んでいる先住民関連の本が面白く読書を優先していたのとで、ブログの更新が滞っていたのだが、帰国する前にこれだけは言っておかなくてはと思い筆をとった。

友人知人のみなさん。

ごめんなさい。
お土産買っていません。

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言い訳をする。

これでも各国の土産物屋をのぞいては、

子どもが産まれた先輩には、パタゴニアのキュートなペンギン柄の赤ちゃん用靴下がいい
酒好きな先輩や元上司には、南米特産ラピスラズリでできたワイン瓶の蓋などぴったりだ

などと考えていたのだが、退職から世界一周に当たってお世話になった人々を思い浮かべると、サクラの石鹸をくれた居酒屋のおかみさんの顔まで浮かんでしまい、

……つまり全員分ちゃんと買う金がない。

そのくらい、私はたくさんの人に助けてもらっていたのだと改めて気づいた。

量産パックのキーホルダーを配るのも気持ちが伝わらない気がするので、機会があれば、見てきたもの、感じたことを直接ご報告できればと思う。

価値ある「土産話」とはなんぞやと考えると、難しい。

それぞれ恩の大きさを考えると、写真を見せて

「綺麗でした」
「おいしかったです」

ではすまされない。
私自身まだ今回の旅を消化しきれていないが、見てきたものを誇張せず、自分なりの感想を添えて報告したいと思っている。

毎日かかさずつけた日記はノート9冊分となり、それを見れば大概のことは思い出せる。

というわけで、ノート持参で伺いますので、全力の「土産話」で勘弁してください。

**********

自白すると、自分への土産はけっこう買った。
だって200万円以上の資金を捻出したのも、何日も役所をまわって面倒な準備をしたのも全部ワタシ。
そこまでしたワタシには土産を買って帰らねばならぬ。

そんな自分土産の内訳は、カミーノ達成記念にサンティアゴで買った約3000円のホタテ貝ネックレスと、主にアメリカで買った13冊の英語の本。

ほとんど本。重い。

明日は13冊の重みを背負って空港へ行き、そのうちの数冊を機内に持ち込んでゆっくり読書を楽しむつもりであるのだが、

……私はこのように、今とても淡々としており、平常心で、普通で、まったくもって旅が終わるという実感がないのだ。
今日もいつもとほとんど変わらぬ1日を送った。

日本に帰るというより、次の国はニホンか、という感じ。
そのくらい私にとって「旅」は日常になった。
とても穏やかで、自然で、シンプルな日常だ。

**********

これからも私はずっとバックパッカーでいたい。
そうあるために、いろんな手をつかって、算段をつけて、あがいてみようと思う。

次の旅がいつになるのかはわからないが、とにかくとっても楽しみである。
行きたいところも見たいものもまだまだあるのだ。

このブログについては、書き残した話がけっこうあるので、それを出し切った後に閉めるつもりだ。
興味を持っていただいた方には、もうしばらくのお付き合いをお願いしたい。


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# by red-travel | 2017-04-07 11:07 | 旅について | Trackback

世界一周の費用対効果

帰国まで半月をきった今、町を歩きながら旅を振り返ることが多くなった。
ああ、楽しい世界一周ももうすぐ終わる。

そして貯金の著しい目減りという現実に目を向けると、

「私は出費の元がとれたんだろうか?」

と、どうしても考えてしまう。

***********

世界一周という経験は金にはかえられない貴重なものだ

とは私は思わない。

社会人経験のおかげでわかったのは、賃金は汗と涙と鼻血の結晶だということだ。
航空券50万円、生活費150万円。
保険や準備金を含めると200万円以上はたいた今回の旅の費用、月給何か月分かと考えるとぞっとする。

失ったものはすごく大きい。
だから「面白い、楽しい、行ってよかった」というのは当たり前だし、そう思わなきゃやってられない。

では、世界一周というものにそれ以上の価値があったか、何か得られたか。
……特に何もないというのが本音だ。

新たなものを見たときの吸収力は、以前の自分と比べ鈍麻している。
変化といえばむしろ、夜行バスで吐いたときなどに体力の低下を痛感した。

つまるところ世界一周してもワタシはワタシのままであったし、海外経験によって多少の知恵がついている一方、成長期はとっくに過ぎており、しかも身体は年齢とともに衰えているということを自覚したのだった。

**********

しかし、新たな何かや劇的な成長を得られなくても、人生をいったん休憩するための世界一周は、私にとって必要なものだったとも思う。

出発前の2年間、ストレスを感じると、私は文字通り息苦しくなっていた。
そのため一度仕事からも日本からも離れよう、世界一周という夢も叶えられてちょうどいいと思い、長期旅行を決めたのだった。

旅の生活を振り返ると、長期間知らない土地を転々としていても気持ちはいつも穏やかだった。

海外にいると私は「外国人」という異質な存在だ。
それは不安であると同時に限りなく楽でもある。

日本にいたら少なからず受ける「こうあるべき」という圧力を、他人からも自分自身からも感じずにすみ、等身大の自分でふわっと生活できる。
一人でいれば他人と自分を比べる必要もない。

旅は身体が資本、すると自然に自分の身体を気遣う。
思えば、疲れたら休むという当たり前のことを、日本ではないがしろにしすぎていた。

今、以前のように本当に楽に呼吸できる。
そのことがしみじみ嬉しい。

**********

200万円で買った、300日間の穏やかな日々。
超高額商品だが、割高ではなかったかもしれない。

出したカネの分くらいは、まあ、価値があったんじゃないか。

今、帰国を前にしてそう思う。

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(メキシコシティ、メキシコ自治大学;図書館の壁画を眺めながら芝生でランチ。なんて穏やかな時間)

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# by red-travel | 2017-03-25 12:13 | 旅について | Trackback

旅と語学 その2 スペイン語の壁

学生時代、英語の試験の結果を見るたびこう思ってきた。

「私はひらがなもカタカナも完璧に読み書き発音できるし、けっこうな数の漢字まで知っている。
アルファベットだけしか書けない英語圏の人間よりよっぽど勤勉。

だから日本語話せりゃ十分だもん。
英語できなくてもいいもん」

私は語学が苦手だ。
そして苦手なものはキライだ。
フィリピン留学やワーホリをすっとばしたのも、苦手な英語を勉強するのがイヤだからである。

……とまあ語学に対して屈折した思いはあるものの、せっかく長期間スペイン語圏にいるのだからと、今更ながらスペイン語の勉強を始めた。
南米旅を共にし先に帰国したKさんが持っていたテキストをもらい、写経のように黙々とスペイン語の会話文を写していたのであるが、ある日カフェで写経をしていてハッと気付いた。

ズルい、こりゃ日本人には不利すぎる……!

**********

うすうす勘付いていたのだが、スペイン語と英語の単語は似ている。

南米、そしてメキシコの博物館には解説文の英訳がないところもたくさんある。
しかしスペイン語の説明パネルを眺めていると、たまに

レボルシオン
コンキスタ

などと読めそうな単語が出てきて、展示物と照らし合わせてみると、やはりそれらは革命や征服などがテーマなのであった。

このように英語から意味を類推できる単語がけっこうあったのだが、それはテキストによると、英語はゲルマン語系の語彙をベースにラテン語系の単語を取り入れてきたからとのこと(平見尚隆『ストーリーで身につける スペイン語基本会話』ベレ出版)。

日本でもカタカナ英語が普及してはいるが、日本語の文章のリズムを逸脱しない範囲であろう。
同テキストによるとスペイン語の副詞は

economicamente
efectivamente
exactamente
(スペイン語の単語には本来アクセント記号がつくが、ここでは省略。以下同)

のように、英語に「mente」をつけたようなものもけっこうあるようで、そんな英語との互換性は日本語にはないメンテ。

**********

写経の結果気がついたのは、単語だけでなく、言葉の語順までも似ているということであった。

例えばこんな具合である。

「私は中南米への旅を考えています」という一文は、

→英語: I am thinking of travelling to Central and South America.
→スペイン語: Estoy pensando viajar a America Central y del Sur.

となる。

スペイン語も英語も、「私は考えている、旅を、中南米への」というような語順。
日本語目線で言うと、倒置法使いまくりのキザな奴である。

以前ハンガリーで会った日本語ペラペラの韓国人男性が、

「日本語と韓国語は、文法が似ています。
だから、私にとっては、英語より日本語のほうがやさしいのです」

と、完璧な文法で言っていたのを思い出す。
確かに日本語を話せる韓国人の旅人たちを思い出すと、発音や語彙の多寡はまちまちであったが、語順や助詞の使い方は皆ほぼ正確であった。

これはウラを返せば日本人にとっても、英語やスペイン語は厄介なシロモノだということである。

日本人が英語やスペイン語を勉強するとき、文字、単語、発音、文法と、四重の壁が立ちはだかっている。

最初から不利なそんな壁、わざわざ登る必要があるのか。
英語・スペイン語は諦めて、韓国語とか中国語とか、文字や文法が近い言語を勉強した方がいいんじゃないか。
それに私はラテン系の男はあまり好みではないし、スペイン語話せなくても支障はないのだ。

語学の愚痴はその3に続く。

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(メキシコ、タスコ;景色のよいカフェで読書する至福の時間)


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# by red-travel | 2017-03-24 10:34 | 旅の日常 | Trackback