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ナスカに生きたマリア・ライへ その3 晩年の生活

ナスカ滞在の最終日、マリアが滞在していたホテル内にある、マリア・ライへ・プラネタリウムを訪れた。

毎日夜7時半から英語のプログラムがあると聞き、その時間に行くと、その日の客は私とKさんの2人だけだという。
なんと、日本語のプログラムもあるとのこと。

まるで学校の屋上にある給水塔のような、小さなプラネタリウムを貸し切って、ちょっと得意な気分になったのだった。

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プラネタリウムのプログラムは、以下のような内容であった。

・ナスカにはあまり雨が降らないこと、強い風が砂やほこりを自動的に吹き飛ばすことなどが、石を除いて作ったラインを残すのに有利な気候的条件となっている

・幾何学的な模様の多くは水のありかを示しており、人々は水を呼ぶ儀式でラインの上を歩いていたというのが有力な説である

などなど地上絵の概要を説明しているほか、

・動物の絵は、夏至などの特別な日の、日の出・日の入り等を表している

・ナスカの人々は独自の星座を持っており、それを地上絵に表した。オリオン座はクモの絵、おおぐま座はサルの絵と符合している

といったマリアの説を紹介している。
しかし、彼女の説に科学的な証拠は不足しているそうだ。

おおお、実に興味深い。

私は興奮して胸がいっぱいになり、明かりがつくと「すごいね、よかったね」とKさんに話しかけたのだが、彼はたった今眠りから覚めた様子。

今夜の視聴者は実質私だけであった。

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プラネタリウムから出た後、スタッフのおじさんが

「このホテルでマリアが滞在していた部屋を見せようか」

と言った。

このホテルは、無償で晩年のマリアに部屋を貸し、研究と生活の援助をしていたとのこと。

部屋に入るとマリアのベッドと椅子がそのまま残されており、壁にはマリアの写真が飾られていた。

アルバムを開いて晩年の彼女を見せてもらうと、妹やヘルパーの助けを借り、ホテルのプールで泳いだり、ドキュメンタリー番組に出演したりしていたよう。

日射しの強い砂漠暮らしの影響によって、皮膚や目に疾患を抱えていたそうだ。

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生涯独身で、砂漠暮らしの末に病を抱え、母国から遠く離れた異郷の地で死んだ哀れな老女……
そんな見方もできるだろう。

しかし、孤独も病も何十年にも及ぶ砂漠暮らしの「代償」ではなく、彼女にとってはナスカとのつながりの証であり、勲章だったと私は思う。

何かに自分の全てをかけ、自負を持って逝く。
どれだけの人がそんなふうに死ねるだろう。

壁にかけられた写真を眺めていると、ふいに、彼女の声が聞こえた気がした。

「私は生涯をかけて、これだけのことをやったわ……」

ナスカに生きたマリア・ライへ  その3  晩年の生活_b0369126_11303154.jpg

(ホテルの部屋に飾られたマリアの写真。カッコいい!今、私の携帯の待ち受けはコレ)

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by red-travel | 2017-02-01 11:41 | 南米
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