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世界一周のおわりと私あてのハガキ

旅の間、折々に両親にあててハガキを送っていたが、旅が終わる直前、ニューヨークで初めて、自分にあてて投函した。

何を書いてよいかわからず、そのとき読んでいたシェリル・ストレイドの『wild』(邦題『わたしに会うための1600キロ』)から、主人公がアメリカのトレイルを終える前日の気持ちを表現した部分をうつした。

It was really over, I thought.
There was no way to go back, to make it stay.……

「わたしの旅が終わる」と、これまでの旅を振り返る場面だ。

私がこの言葉を書き込んだポストカードは、ニューヨーク近代美術館で売っている、メキシコの女性画家フリーダ・カーロのもの(フリーダについては「メキシコの伝説的夫婦」参照)。
帰国し日本での生活を再開しているであろう自分に向けて、この絵を選んだ。

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《髪を刈った自画像》というタイトルのこの絵では、肩幅の広いスーツを着たフリーダが鋏をにぎって椅子に座り、床には長い黒髪が散乱している。

そして、そこにはメキシコの抒情詩が書き込まれている。
美術館の図録によると、以下のような意味だそう。

《見てごらん。
私がおまえを愛していたとすれば、それはおまえの髪のせいだ。
もはやおまえに髪はないのだから、私はもうおまえを愛さない。》
(『MoMA Highlights』より)

この絵と言葉で表している「髪」が、何を暗示しているのかはわからないが、私が帰国直前に感じていた不安は、まさにこのようなものだった。

肩書きがなくなった私に一体何が残っているのだろう?
仕事で得た良い出会いも、スキルも、私が一所懸命やったと思えることは、退職で全て消えてしまった。
同じ高校・大学にいた友人たちが社会の主流で活躍しているとき、私はろくな貯金もキャリアもなく、再び日本の企業でやっていく自信もない。
フリーダの絵と反対に私の髪は伸びたけれど、「もはや私に職はないのだから、誰も私を愛さない」。

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一方、何もかもゼロになったことで得た出会いも、確かにあった。
旅で出会った友人は、私の学歴も前職の詳細も尋ねない。
私もきかない。
彼ら彼女らにとっては、私に「髪」があろうがなかろうが関係がない。

旅人同士のゆるやかな関係は、なんて貴重なんだろう。
愚痴じゃなくて、批判じゃなくて、どうしたら自由に生きられるかを語れる関係。

そういう旅人同士の関係性もひっくるめて、私は旅が好きだし、旅しているときの自分も好きだ。
そんな気持ちも再確認した。

そうして世界一周が終わった。

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帰国後しばらくしてこのハガキが届き、帰国前に不安に思っていたほど、自分は捨てたもんじゃなかったと思った。

人間関係は大幅に縮小されたものの、私が尊敬し、また会いたいと思う人たちとはなんだかんだで会っている。
連絡をとっていない人もいるが、生きていれば、会いたい人とはどこかでばったり出くわしそうな気がする。
もともと人付き合いは好きではないし、ちょうどいいのかもしれない。
妙にサッパリした。

さて、これからどうするか。
次の旅に向けて、計画を始めた。

世界一周のおわりと私あてのハガキ_b0369126_21380448.jpg
(フリーダのポストカード。今回の旅では、他館へ貸し出し中であるなどタイミングが悪く、フリーダの大作は鑑賞できなかったけど、最後に印象的な絵に出会えた)


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by red-travel | 2017-08-20 22:05 | 旅、その後
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