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ニッポンの美術館、世界の美術館 その1 国立西洋美術館探訪

すっかりブログの更新が滞ってしまった。

きっと朝から晩まで働いているのだろうと思われたかもしれないが、全然そんなことはなく、勉強したりたまに働いたりしながらゆるゆると生きている。
私のペースでゆっくりやることにした。

このブログは旅行中の話を書き終えたらスッパリ閉じるつもりだったが(それも書き終えてないけど)、帰国して改めて「日本」を見ると、日本独特の習慣や特徴なんかが見えてきたりして、ハッとさせられることがある。

せっかくなので、世界一周後の気づきについても、ほそぼそと記述していきたい。

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先日、上野の国立西洋美術館に行った。
一年ぶりに日本の美術館を見てみたいと思いたち、母を誘って出かけたのだ。

今回は常設展のみを鑑賞。
平日にもかかわらず入り口に人だかりができていたが、常設展ブースは落ち着いた人の入りであった。

さすがに「国立」、中世から近代までのいい絵を集めている。
フェルメールが描いたと推測される《聖プラクセディス》もあって驚く。
フェルメールにしては珍しく室外であるが、確かに女のうつむいた表情はフェルメールっぽいかな、などと考えながら、生涯制作点数の少ないフェルメールが日本で常設されていることにわくわくした。

日本人に人気のフランス印象派コーナーでは、モネ、ルノワール、セザンヌなどが並ぶ。
印象派で私が特に好きなのはピサロであるが、彼の作品はちょっとモネにも似て、柔らかい色調と筆遣いが美しく、見ていて心穏やかになる。

そんなパステルカラーの風景画を見ながら母はこう言った。

「うーん、アンタが中学生のときに描いた公園の絵の方がうまかった」

ありがとう母さん。
でもピサロに謝れ。

そんな不遜な親バカをかますような母と館内を歩いていると、私なぞはなまじ知識がついてきただけに、

「ほう、これはピカソのいつの時代の作品であろうか。これは大戦後だから……」

などと余計なことを考えて絵そのものを熟視していないときがあるのだけれど、先入観のない母は

「あら、これいいわね。こんな農村に住みたい」
「うーん、わけがわからん」

などと巨匠の大作をぶった斬りで、清々しくさえあった。

たまには誰かと美術館に行くのもいいな、と思う。
私と美術鑑賞をしたいというイケメンがいたら、写真添付の上お申し込みいただきたい。

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しかし、美術館全体としては、正直なところ少々物足りなく感じた。

世界一周中、毎日のようにミュージアムをめぐり、特にアメリカではワシントンのナショナルギャラリーやニューヨークのメトロポリタンなど大型の美術館を堪能したため、それと比べるとどうしても建物自体が小さく思える。

展示方法についても、海外の美術館では

「この絵はここにあるからこそ生きる。この美術館がこの絵の家なのだ」

と感じることがたびたびあったが、今回そのような感慨は湧かなかった。

たとえばマドリッドのプラド美術館では、スペインの画家ゴヤの「黒い絵」シリーズが収蔵されており、《我が子を喰らうサトゥルヌス》とか、それはもう奇怪で異様な大作が並んでいる。
これらは専用の展示室に配置されているため、前後左右から絵に見つめられているようなピリッとした戦慄を覚えた。

ニューヨークのメトロポリタン美術館でも、壁がワインレッドだったり水色だったり、展示室によって背景の色が異なっていて、それが違和感なく作品を引き立てていた。
眺めていて飽きない、しっくりくる空間であった。

こうした美術館はとてつもなく広い館内を小さな部屋に細分化して展示しているが、国立西洋美術館は大きな展示室が連続している感じ。
私はどちらかというと、展示室と絵の一体感が感じられる前者のほうが好みだ。

日本ではむしろ、千葉県にある市川市東山魁夷記念館(穴場!すてきな洋館)や、倉敷の大原美術館など、個人美術館や地方の中・小規模美術館のほうが、そうした展示に出会えるのかもしれない。
また、島根県の足立美術館には横山大観はじめ素晴らしい日本画の数々に加え、まるで巨大な作品のような庭園があり、日本の四季をこれでもかと感じられる。

日本人にも外国人にも超オススメ、心静かな時間を味わいに、機会があれば寄ってみてほしい。

その2に続く。

ニッポンの美術館、世界の美術館 その1 国立西洋美術館探訪_b0369126_17054545.jpg
(メキシコ、クエルナバカのロバート・ブラディ博物館;個人の邸宅に仮面などの民芸品が並べられている、カラフルな博物館。こんなに楽しいミュージアムは初めて!ワタシの理想の家)

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# by red-travel | 2017-05-30 17:19 | 旅、その後

嫌「嫌中」・嫌「嫌韓」

旅行者の生活時間帯はバラバラであり、ゲストハウスのドミトリーに泊まると、早く寝たくても電気がついていたり、遅く帰るとすでに消灯していて、暗い中荷物整理をするはめになったりする。

ドミトリーに泊まる以上、皆ある程度の時間のズレは覚悟している。
しかし、すでに眠っている人がいるのに、遠慮なく大声で話したり、ドスドスと足音をたてて歩いたりする、つまり同室者に気を遣わない奴がけっこういる。

メキシコシティのゲストハウスでのこと。

多くの旅行者はナイトライフ満喫型、私は早寝早起きの非リア充型。
そのためその日も私が寝付いた頃に、続々と同室者が部屋に帰ってきた。

アメリカ人の女の子とドイツ人の女の子が、何やら話をし始める。
そのうちだんだん盛り上がってきて、嬌声を上げ音楽をつけ、
くそっ、すっかり目が覚めた。

私も負けじと寝返りをうち、「眠いんだよコッチは」とアピールするが効果なし。
イライラしながらベッドで様子をうかがっていると、足音を殺して歩き、ドアの開閉をそっと行う、「気遣いのできる人」が一人だけいるのに気がついた。

それは中国人の女の子であった。
翌日キッチンで自炊したパスタを食べていると、彼女はおいしい中国茶を分けてくれた。

ワシントンのゲストハウスでは、こんなこともあった。

夜、眠っているアメリカ人女性のすぐそばで、白人の女の子が中国人の女の子に話しかけていた。
白人の女の子は普段と変わらぬ声量だったが、中国人の女の子は小さな声で応じていた。

「中国人はマナーが悪い」と言われているが、私が見た限り、日本人に一番近いマナー感覚を持っているのは中国人であった。

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韓国人の旅行者とは様々な国で話をした。

他国の旅行者との会話にはないが、韓国人との会話では得られるものがある。
それは「共感」だ。

カミーノ中、韓国の女子大生と話していたときには、

「ヨーロッパでは500円出してもハムとチーズのサンドイッチしか買えない。野菜が入ってない。韓国や日本じゃあり得ない!」

と、食のストレスを分かち合う。

別の機会には、

「一度決められた道を外れると、元に戻るのは難しい」
「経済はすごく発展しているのに、なぜか息が詰まりそう」

等々、「それ日本も一緒!」「韓国も同じです!」などと共感の嵐。

韓国と日本の状況はよく似ているのだろう。
お互いカタコトの英語であっても、言っていることが実によくわかるのだった。

**********

旅の間、様々な「嫌◯感情」を知った。

「中国人が済州島にたくさん来るのが嫌だ」と言う韓国人、「僕はアメリカにはカネを落としたくないから、絶対にアメリカには行かない。大嫌いなんだ」と言うカナダ人。
中欧では「セルビア人が嫌い」という声もあった。

歴史の中で関わり合ってきたからこそ憎み合うのだろう。
反対に言えば、憎めるほど相手をよく知っている。
それだけ近いのだ。

日本では、中国人や韓国人の反日感情が話題になることも多い。
しかし、旅で出会った中国人や韓国人は、皆とても親切にしてくれた。
私は彼らがくれた、余りある親日的な厚意を忘れないだろう。

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私は日中・日韓の歴史的なしがらみについてほとんど理解できていないし、日中・日韓関係について意見する気はない。
しかし、日本人の嫌中・嫌韓に関するニュースを見ると、こんなことが続けば、日本語を覚えたり、日本に旅行したり、日本に強い関心を持っている中国・韓国の友人たちの気持ちが、日本から離れてしまうのではないかと思う。
日本の理解者を失くしていくようだ。

今朝もそうしたニュースを目にし、旅の中で出会った、たくさんの韓国人の顔が頭に浮かんだ。
カミーノの上り坂で「ガンバレ、ガンバレ!」と日本語で励ましてくれたおじさん、巡礼宿で美味しい韓国料理をふるまってくれたお兄さん、今もLINEで連絡を取り合っているPちゃん……。
彼らが今、どんな気持ちでいることか。

日本人の中に根強く存在する嫌中・嫌韓感情こそ、私はきらいだ。


# by red-travel | 2017-05-04 18:57

歴史博物館と戦争 その2 9.11記念博物館

旅の最後を過ごしたニューヨークは、私が逃げ出した東京にとても似ていた。

タイムズスクエアは渋谷、五番街は銀座、ブロードウェイは新宿。
何もかもに既視感を覚えた。
目新しいものは特になく、結局町の写真は一枚も撮らずに帰国を迎えた。

滞在していたホステルは、マンハッタン島対岸の、雑然としたラテンアメリカ人街にあった。
カフェでカタコトのスペイン語でやりとりしていると、「東京」から離れられたような気がしてほっとしたのだった。

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旅の最終日、4月6日、9.11記念博物館を訪れた。

どしゃ降りの中ワールドトレードセンターに向かうと、追悼のための大きな黒いプールがあり、その奥に9.11記念博物館があった。
空港に似た厳重なセキュリティチェックを終え、地下におりると、広々とした空間が広がっている。

警察官や消防士、腕を組んでカメラを見る作業員、血を流す住民などが写っている、当時の写真。

被害者の写真や遺品の中には、日本人のものもある。

9.11で亡くなった若い日本人男性の父親は、原爆で兄弟を殺されており、この父親にとって「グラウンド・ゼロ」と呼ばれる場所で家族を喪うのは二度目だ、という内容のキャプションもあった。

静謐な雰囲気の中、テロ発生当日の様子を細かく時間を追って検証し、自動車や鉄骨の一部も展示されている。
閉館が近い時刻にもかかわらず、多くの人が熱心に見入っていた。

これらの展示はテロの悲惨を十分に伝えており、映像も展示物も写真も、テレビで見ていたより生々しく衝撃的だったのだが、私がこの博物館で一番印象に残ったのは、映像コーナーの脇に設置されていたティッシュペーパーとゴミ箱だった。

博物館に調和したデザインの、丈の高い立派なティッシュケース。
映像を見て涙ぐむ女性が、そのティッシュを使用している。

それを見て、ふと考えてしまった。
もしこの被害者がアメリカ人でなくても、彼女は、アメリカの人々は涙を流すのだろうか。
それが許される社会なのだろうか、と。

テロの直後、アメリカがいっきに戦争へと突入した、その勢いとスピードは凄まじいものだった。
反対意見を許さない雰囲気の中で、日本を含め他国を巻きこんでいったその後の戦争は、今も中東で尾を引いている。

このような立派な追悼施設など作る能力もないような国の人々、「アメリカ人」の範疇に入らない人々に対して関心と共感を向けることは、今のアメリカではどれほど許されているのだろうか?
非アメリカ人の命は、アメリカ人の命と対等に考えられているのだろうか?

私は旅の間に訪れた様々な場所を思い出した。

カンボジアのポルポト政権下の虐殺、ベトナム戦争での枯葉剤投下、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの民族浄化、アウシュビッツ。

これらの悲惨について、アメリカも日本も他人事ではないのだ。
直接的にしろ間接的にしろ、関わりを持っている。

ぐるぐると考えていたら、涙が出てきた。
なんだか悔しい。
人って、国って結局そんなもんなんだろうな、という悲しさと諦めもある。

ここは追悼施設なのだ、素直に9.11の被害者を悼むべきだと自分に言い聞かせるが、どうにもならない。
追悼者用のティッシュを使うのははばかられ、持ち歩いているトイレットペーパーで顔を拭った。

**********

国家も国際社会も、結局は人でできている。
そうである以上、国際社会もまた完全ではない。

カンボジアで訪れた、トゥールスレン収容所やキリングフィールドを思い出す。
どちらもポルポト政権による、住民虐殺の現場である。

あれほどの虐殺をやらかしたポルポト政権を、国際社会は1991年まで承認し続けていた。
ポルポトに代わる新政権は、冷戦構造の中で、大国やベトナムとの関係によって西側諸国から無視されていたのだと、収容所のオーディオガイドは糾弾していた。

当時のカンボジアに限らず、世界はそんなふうにまわっているのだろう。
自分に火の粉がかからない限り、自分の利益を優先するし、権力のある者に従う。
世界は私が思っていたほど完全なものではない。
人間くさくて、理屈に合わないものだと思った。

帰国し、シリアなどに関するニュースを見ると、そこにはどれだけの住民がいたのだろうかと胸がチクっとする。
しかしチャンネルを変えれば他人事になる。

私には他人のことも国のことも批判する資格はないのだろう。
明日にでもそれが自分に降りかかる可能性もあるのに、何もかもに目をつぶって、今、ふたたび日本の平和に浸かっているのだから。

歴史博物館と戦争  その2  9.11記念博物館_b0369126_19414499.jpg

(雨の中訪れた世界貿易センタービル跡地。現在は新しいビルが完成している。博物館観覧後外に出ると、ニューヨークの空は美しく晴れていた)

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# by red-travel | 2017-05-01 20:14 | アメリカ合衆国

歴史博物館と戦争 その1 アメリカのW.W.Ⅱ、日本の第二次世界大戦

世界一周だからこそできること。

私は「歴史博物館の見比べ」を挙げる。

今回の旅では、多くの国で歴史博物館を訪れた。
そうすると、同じ戦争でも、国によって見方や切り取り方が全く違うということに気づく。

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歴史博物館で何をどのように展示するか。
そこには、自国の歴史を自国民にどう認識させるかということや、対外的に何をアピールしたいのかという思惑が多分にこめられていると思う。

たとえば、第二次世界大戦。

日本人の私にとっては、ヒロシマ・ナガサキ、東京大空襲、そしてオキナワである。
しかしアジア諸国から見た同戦争も、アメリカから見た同戦争も、それとは異なるものが中心に据えられている。

中国、北京の中国人民抗日戦争紀念館では、1937年、盧溝橋事件に端を発して始まった日中戦争から太平洋戦争につづく対日戦争が、ジオラマやパネルを使って説明されている。

日本軍が行なった蛮行の数々。
微に入り細を穿って説明されており、目をそらしたくなるほどだった。

そこに書かれていた数字や情報がどれほど正しいのか私には判断できないが、「中国人が日本をどう見ているか」というのはよくわかった。

アメリカ、ワシントンのアメリカ歴史博物館では、軍・戦争に関するコーナーがあり、そこにはもちろん第二次世界大戦の展示がある。

アメリカにとってのそれは、リメンバー・パールハーバーであり、正義の達成である。
原爆の影響などはほとんど展示されていない。
ベトナム戦争についても、「南アジアの共産化を食い止めるため」の戦争とされており、ベトナムの博物館で見た同戦争とは全く別物に思えるほどだった。

私自身もそうなのだが、人は他人から傷付けられた出来事ははっきりと覚えていても、自分が放った言葉は比較的すぐに忘れることができる。

それは国家も同じようなものなんだろう。
日本は、日本人は、日本の他国に対する行いよりも、受けた被害のほうを記憶する。

他の国々も同様だろう。
そうである限り、戦争は続く……。

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私はどこかでこんな展示をやってみてほしい。

「戦争展示比較展」

同じ戦争を、異なる国ではどのように展示したり教育したりしているのか、というものだ。
各国の歴史博物館のパネル・写真や歴史教科書を、戦争ごとに切り分けて展示する。

リメンバー・パールハーバーとヒロシマ・ナガサキを並べれば、アメリカと日本が何を問題にしているのか、溝や食い違いがわかる。
一方日本が侵略したアジアの国々はどう考えているのか。
アジアの博物館には、フランスや日本の支配について展示されているので、それも並べてみてほしい。

東西冷戦はどうか。
大国にはさまれたキューバはどう見ているか。

博物館を作って被害を訴えることすら難しい国々もあるので、その資料は独自に集める必要があるだろう。

おそらくどの国の歴史博物館の展示も、一面は真実であり、もう一面は国家の忖度だ。
一国だけでは真実などわからないし、ならば関係国全部から、複数の視点から一つの事象を見るしかないのではないか。

アメリカ人がアメリカの博物館だけを訪れ、日本人が日本の教科書だけを読んでいるのでは、歴史の反省などできないに違いない。

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世界一周をして、本を読んで、博物館をめぐって、私は以前より格段に、世界や戦争について関心を持った。
しかし、それは世界を知ったわけではないということもわかっている。

何かを見たり聞いたりするとき、必ずフィルターがかかる。
本の著者の主張、国家の歴史観。
そして私が日本人でありアジア人だということも、大きなフィルターだ。

まじりけのない純粋な「真実」とは何だろう。
国の数、人の数ほど真実があって、それはあまりに膨大すぎて、結局存在しないような気さえしてくる。

歴史博物館と戦争  その1  アメリカのW.W.Ⅱ、日本の第二次世界大戦_b0369126_14294815.jpg


(ワシントン、ナショナルギャラリー東館に展示されている河原温の作品。

ベトナムで見たベトナム戦争関連の展示は、自分でも気づかないうちに、私の心に深く食い込んでいた。同じアジアとしての共感もあるのだろう。原爆同様、何代にも及ぶ被害という点も、どうしようもなく哀しく腹立たしい。

ベトナム中部の都市フエの本屋で、ベトナム人作家バオ・ニンが自身の戦争体験をもとに著した本の英語版を買い、ホーチミン滞在時に読んだ。

印象的だったフレーズを引く。

《Justice may have won, but cruelty, death and inhuman violence had also won.
Just look and think: it is the truth.
Losses can be made good, damage can be repaired and wounds will heal in time. But the psychological scars of the war will remain forever. 》
(Bao Ninh "THE SORROW OF WAR" , VINTAGE CLASSICS))

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# by red-travel | 2017-04-24 14:40 | アメリカ合衆国

アメリカぎらい

「コーヒー・オブ・ザ・デイ」

「Sorry?」

「コーヒー・オブ・ザ・デイ」

「Sorry?」

「こっふぃー、おぶ、ざ、でいっ!」

ワシントンのカフェで2回聞き返された。
「本日のコーヒー」を買うのに苦労する。
おお、私の発音はそんなに悪いのか。

これまで他の国では、スペイン語をアルファベット読みで適当に発音しても、メニューを指差しながら「カフェ」と言っただけでも通じた。

しかしアメリカに入国してから、一事が万事この調子。

私もアメリカ人の話す英語が聞き取れない。
同じ英語圏でも、カミーノで会ったカナダ人やオーストラリア人の英語は何となく理解できたことを考えると、

アメリカ人は英語ヘタクソなんじゃないのか。

ま、それは冗談として、アメリカに2週間ほど滞在して気付いたのは、アメリカでは英語が絶対的であり、他のコミュニケーション手段は排除されているということだった。

**********

私はゆっくりはっきり話してもらえれば、多少は英語を理解できる。
しかしアメリカ人の英語は容赦ない。

「○▲◇★■△※#∞……OK?」

全然オッケーじゃない。

たまたま、もしくは都市部だけかもしれないが、これまで駅やインフォメーションで私が道を尋ねたアメリカ人たちの英語は、早口である上に抑揚が少なかった。

それはつまり、情報の伝達手段が「英語」という言語だけだということだ。
たとえ外国人相手でも、ゆっくりと話したり、ボディーランゲージを加える、紙に書くという方法がとられない。
メキシコ人が身ぶり手ぶりを加えて何とか伝えようとするスペイン語のほうが、まだ理解できた。

思えば人種のサラダボウル・アメリカにはアジア系も多数住んでおり、「人種が違う=英語が話せない」という法則が当てはまらない。
だから外国人にも当然のように英語を期待するのだろう。

他の国のように、こちらが繰り出す下手な英語や現地語から、意図を読み取ろうとはしてくれない。

**********

ワシントンで宿泊していたゲストハウスには、カリフォルニアから来たというアメリカ人の中年男性がおり、いつも誰かしらに大声で話しかけていた。

ある日、彼はキッチンで私に

「日本の人口は何人なんだ!」

と尋ねてきた。

私が「ちょっと待って」と言いながら、1億は何ミリオンだったっけ、と計算していると、

「20ミリオンか? 30ミリオンか?」

と、たたみかけるように急かしてくる。
苛立ちながら100ミリオン以上だと答えると、こう返してきた。

「日本は小さい島だろ!そんなに人がいるのか?」

おそらくこの男性は、日本人が普段ミリオンやビリオンを基準単位としていないということを知らないし、考えたこともないのだろう。
それに悪意がないのはわかっているが、居丈高な「小国」呼ばわりに、カチン、ときた。

たまたまそいつが嫌な奴だっただけなのだ。
事実、困っていた私にとても親切にしてくれたアメリカ人もいる。

しかしそのとき私の中で、アメリカに対し、

外国人がアメリカの言語や習慣に合わせて話すのを当然のこととみなす異様な国

という偏見と反感が生まれた。

**********

ワシントンで、私は自分でも思いがけない行動をした。

ある日、特に食べたくはなかったけれど、スーパーで豆腐を買った。
宿のキッチンで水をきり、そのまま皿にあけ、スプーンで中央を丸くえぐり、そこに醤油を注いだ。

豆腐で日の丸。
即席の愛国的反米メニュー。

なんでもいいからアメリカに抵抗したくなった。
「オーガニック」と強調されたその豆腐は、日本のそれとほとんど変わらぬ味ではあったけれど、ちっともおいしく感じなかった……。

アメリカぎらい_b0369126_09591484.jpg
(ワシントン記念塔)

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# by red-travel | 2017-04-14 10:11 | アメリカ合衆国